泣いて小園を斬る
企業なんかもそうですが、マネジメントスタイルは、いろいろです。正解は一つじゃありません。
最近、入手したゴジキ氏の『マネジメント術で読むプロ野球監督論』(光文社新書)には、歴代監督の中から13人がピックアップされていて、それぞれの手法を詳細に分析しているのを大変興味深く読ませていただきました。全く逆のことをしているのに、それが上手くいったり、いかなかったり。同じ人が同じチームを牽引しても、そのときの戦力の違いによって、評価が変わったりするのが面白い。
世の中的には、試合戦術や選手の起用法にばかり目が行きますが、監督の仕事はそのほかに、球団フロントとの関係をはじめ、選手・コーチとの信頼関係の構築、メディア対応など表面には出にくい大切なことがたくさんあって、それらをバランスよく仕切っていかねばならないモグラ叩きを続けているような重職だということ。ゴジキ氏は、同書の中で「データと人間理解を両立させ、専門家集団を束ねて最終判断を下す役割を担っている」とまとめていました。
新井貴浩という人は、名球会員でありながらもいわゆるエリートではありませんでした。ドラフト6位の入団時の経緯からして、扱いが違っていたし、多くの先輩から良いところを盗みながら、猛練習を重ねて這い上がってきたという分厚い歴史があります。だから、弱い立場にある選手を簡単に見放すようなことはできません。エゴグラムでいうところの母親タイプ。勝負師としては、欠点なのかもしれないけど優しさの塊です。
野村克也に象徴されるように、監督の試合戦術としては、相手が嫌がることを突いていくのが腕の見せどころであるにもかかわらず、そういうのがとっても苦手です。新井監督は根っからに優しいから。相手がどうあれ、まず、自軍のことを考えてしまう。そういうところ、批判されがちです。考えが足りない、判断が遅いと。
だけどねぇ、そこが個性なんですよ。
監督就任時に「オレは好き嫌いで選手起用をしない」と言ったけど、それは自分に対する戒めで、本当は好き嫌いの感情が強く働きます。特に、嫌いというところ。
それぞれの選手は生活を賭けているわけで、試合に出場しているプレーヤーは、そのことを理解した上での一生懸命が求められている。責任があるし、それは立場に応じて重いのだとする考え。なので、そこからはみ出したような傲慢さは決して見逃すことができません。プライドを尊重するよりも優先事項です。
ここへ来ての3カード連続勝ち越しは、育成出身選手の活躍によるところが大きく、そういう泥臭さこそが新井野球であると興奮しております。
見つけたんじゃないかな。新井流のマネジメント。ここからの反転攻勢が新井貴浩の人生そのものだと思うのであります。